原糸と編・織と加工、そしてセリシン固着。一貫生産体制で肌に優しい医療用ベース素材を開発

※所属、役職は取材当時のものとなります。

セーレン株式会社は、明治22年、蚕から生み出される〝絹を精練する〟会社として創業した老舗企業だ。すでにその歴史は1世紀以上にもなり、会社名セーレンはいうまでもなく、この絹の精練を意味する。
そしてそのセーレンの繊維技術は、時代とともに常に進化し、複合を積み重ねてきた。前号の「最先端毛髪科学の研究現場」の取材でうかがった取材テーマは「絹タンパク質セリシン」。セリシンは、保湿、美肌効果、老化を防ぐ抗酸化作用があり、細胞を活性化させる育毛効果があることが実証されている。

高度な繊維技術で多分野に事業展開する

セーレン株式会社の基本はあくまでも繊維メーカーであること。絹織物との深い関わりの中から、絹由来の天然タンパク質セリシンに注目、やがてはバイオテクノロジー分野へと展開していったのである。しかしセーレンの主力製品は、あくまでも繊維技術を駆使した製品である。
最も大きな売り上げを上げているのは、カーシートやエアバックなどの車両資材。日本の自動車メーカー全社のみならず、世界の自動車メーカーと取引をしている。また、「マスからカスタマイズへ」と時代の流れをいち早く読み、世界に1着のオーダーメイドからグローバルオーダーの大量生産まで、あらゆる素材に1677万色による表現が可能なビスコテックス(最先端のデジタルプロダクションシステム)でファッション業界をはじめ、様々な分野で革命を起こしている。その一方、繊維技術を核としてエレクトロニクス、メディカル、環境生活資材分野などさまざまな方面に進出し続けている。その高度な技術の一例を挙げれば、JAXAが打ち上げるロケット・イプシロンには「防音ブランケット」と呼ばれる防音材料を提供しているし、人体内部で使用される人工血管にも使われるなど、その繊維技術は世界中から注目されている。
アデランスがこのセーレンと協力関係に入ったのは、15年ほど前だ。商品企画部の千藤伸一部長は、「ベース素材は肌に直接接する訳ですから、女性用ウィッグとしてセリシンの保湿性が高く肌に優しい効果と、セーレンの高い編・織技術に注目した」という。
その結果、セーレンのセリシンとその編み込み技術によって作られたベース素材は、女性用ウィッグ〝シフォレ〟に採用された。以降、女性用ウィッグにはセーレンの技術が遺憾なく発揮されてきた。そこで医療用ウィッグとして、がん患者の方などの敏感肌に直接接するウィッグ素材を依頼し、このほど最新技術のもと、完成した。
アデランスのリクエストに応え、最新の医療用ウィッグのベースを作り上げた環境・生活資材部門商品開発課の高畑晴一課長にどのようにして完成させたのかを聞いた。

ベルカップル使用で肌触りのいいベース素材を開発

アデランスからはどのような要請があったのですか。

がん患者さんのような敏感な肌に使われるベース素材ですから、決して頭皮にストレスがかからないものというオーダーでした。どうしたら頭皮にストレスがかからないかを考えたら、まずベース素材自体の感触。ベース素材がザラザラしていれば、ウィッグとして付けたときに違和感があり、肌に刺激を与える。極力刺激がかからない肌触りが重要だと考えました。合わせて、我々には肌に優しいセリシンを生地表面に固着させるセーレンのオンリーワン技術「フレシール」がありましたので、これを生地に応用しようと開発を進めました。

芯である〝フィブロイン〟とそれを覆う保護膜〝セリシン〟の2つのタンパク質で構成された絹から抗酸化作用のあるセリシンを抽出、肌着やストッキングに使用している

 

肌に直接触れる原糸から教えていただけますか。

まず肌触りを良くするために選んだのはKBセーレンの原糸で、ベルカップル(Bellcouple)という融点が異なる〝芯〟と〝鞘〟2層のポリエステルでできている原糸です。
その原糸に熱を加え、鞘の低融点のポリエステルを溶かすことで、生地表面を平滑にしたり、形態安定や硬度調整などができます(下図参照)。普通ポリエステルが溶ける温度は260度以上なんですが、この低融点ポリエステルは150度ぐらいで溶けます。しかし、このベース素材は完全には溶かしていません。

特徴:表面平滑性・ヒートシール性・形態安定性・硬度調整性
用途:フィルター、メッシュ、芯地、補強材

 

なぜ部分的に溶かすんですか。

その理由は、完全に溶けると固くなってしまうからです。つるっとした感じを出しながら、柔らかさを保つ。これがこの生地の特徴なんです。

一貫生産体制の確立で新製品開発がスピードアップ

そのベルカップルはKBセーレンのもので、編み方の技術は従来のセーレンの技術ですね。

一般的に繊維の業界は、原糸、編・織、加工、縫製の工程が分業化されていて、それぞれ異なる会社が行っています。そのような中でセーレンは、90年代には自社グループ内で編・織、加工、縫製については生産できる体制を持っていました。それでも唯一、原糸だけはできなかった。それが2005年、カネボウの繊維事業を継承した KBセーレンがグループに加わったことにより、世界でも類のないビジネスモデル、原糸から縫製までの一貫生産体制を確立できました。開発も企画部署が関連部署の技術者すべてに声をかけ、打ち合わせることでスムーズに進むようになりました。原糸や技術を知っていても、それぞれに違った会社だと、まとめるのに一苦労しますから。

商品化の早さはKBセーレンが加わったことで随分早くなったということですね。

今は、新しいものを作るサイクルがとても早まっている時代です。各企業からのさまざまな要望に素早く対応し、品質・デザイン・コスト・納期・環境等で競合他社との差別化を図るためにも、セーレンが原糸から縫製までの一貫生産体制になったことが大きな強みになっています。
例えば、お客様からの要望に対し、加工だけでは対応できなかった商品も、KBセーレンが加わったことで原糸から開発し、加工と組み合わせることで商品化できるようになりました。

さて、ここにベース素材となる基布があります(下の写真参照)。編み方は違うのですか。

ベース素材は普通、網目の粗い編み方ですが、この商品は細い原糸を使った網目が緻密な特殊な編み方です。緻密な編み方にすることで、生地の凹凸を抑え、肌触りが良くなります。しかし一方、緻密な編み方は通気性を悪くし、ムレやすくします。そこで原糸を細くして原糸同士の隙間を広げることで通気性を改善しました。
最新の医療用ウィッグ『ラフラ・アイフィットプラス』はこのウィッグ生地をベースに、制菌機能を付与、さらに絹たんぱく質『セリシン』を表面に固着させるセーレンのオンリーワン技術『フレシール』を応用していますから、がん治療による脱毛症やアトピー性皮膚炎患者の方にも使用していただけるものと思います。

肌触りがいいかどうかは、数字などで計れますか。

もちろん数字で計ることはできますが、やはり手で触っていただくのがいいですね。今後はでき上がった製品で患者さんからの声を聞かせていただけると、また開発意欲が湧いてきますね。

福井県福井市に本社を置くセーレン株式会社。研究開発センターの近くには、原糸、織り・編み、加工、縫製などの生産拠点が点在している

インタビュー・文/佐藤 彰芳 撮影/田村 尚行