抗がん剤脱毛を抑制するαリポ酸誘導体は脱毛症治療の新医療として注目を集める

※所属、役職は取材当時のものとなります。

「抗がん剤脱毛を防ぐことができれば、乳がん患者など治療に向き合う患者の意識も変わる」と患者の心理的な負担を取り除く研究から「癌・炎症と抗酸化(αリポ酸)研究会」を発足。大分大学医学部内外、 基礎医学と臨床医学の研究者がタッグを組んで、αリポ酸誘導体による脱毛の抑制剤を開発した。
その効果は世界的な反響を呼び、治療の副作用による脱毛に効果的な頭皮用ローションが発売されるまでになっている。

抗がん剤脱毛を防ぐαリポ酸誘導体の研究成果

猪股先生には、2015年秋号vol.3で登場いただきました。改めてαリポ酸誘導体を用いた抗がん剤治療とはどういうものなのかをお話していただけますか。

がんの治療には外科療法、抗がん剤治療、分子標的治療などのほか、最近では免疫療法というものが普及してきていますが、やはりがん治療の基本は外科手術です。そこで大分大学医学部では、がんの外科療法を行っていく上で、手術に対して体に少しでも負担の少ない低侵襲手術、つまり体表に傷を作らない内視鏡を用いた手術を進めてきています。これは手術後、身体の機能が温存され、QOL(Quality of Life、生活の質)をできるだけ落とさないという治療法です。
次に抗がん剤治療に関しても、同様にできるだけ副作用を少なくする必要があると我々は考えています。手術よりも薬のほうが患者さんにとってダメージが少ないかというと必ずしもそうではありません。抗がん剤の場合は長く副作用に悩む人がいて、「手術は何回受けてもいいけど、抗がん剤治療は受けたくない」という患者さんもいるほどです。そこで、抗がん剤治療の効果を高めながら、副作用を予防していくという取り組みを行いました。
副作用予防での一番大きな目的として挙ったのが、脱毛を防ぐということです。これは女性だけではなく男性にも言えることですが、脱毛は目に見えるという身体的なダメージだけではなく、心理的なダメージが非常に大きいのです。脱毛があるから抗がん剤治療を受けたくないとか、途中でやめたいという患者さんも少なからずいます。そこで、抗がん剤によって脱毛がどうして起こるのかを調べたところ、実はこれまであまり研究されていませんでした。それを受けて抗がん剤による脱毛がどうして起こるのか、どうしたら予防できるのか、そして抗がん剤脱毛にはどのような治療薬が必要なのかが、新たな研究テーマとなったのです。

その治療薬を世に出すために、「癌・炎症と抗酸化研究会(CIA研究会)」が発足したのでしたね。

そうです。基礎医学の生化学者、病理学者、がん治療専門の臨床の先生をはじめ、皮膚科、薬学、治験のエキスパートたちが集まって研究会が発足し、その研究に取り組んできました。また、その知見を商品に反映して開発するノウハウを持っている毛髪のリーディングカンパニーであるアデランスさんにご協力をいただき、産学連携で抗がん剤脱毛の予防剤の開発を進めた結果、2018年1月に大分大学とアデランスが協同で、αリポ酸誘導体という抗酸化物質を配合した頭皮用ローションによる抗がん剤脱毛の抑制に関する臨床結果を発表しました。

毛母細胞の老化を食い止める抗酸化作用の威力

抗がん剤による脱毛は、抗がん剤が引き起こす酸化が原因ということですね。

人が老化する原因は体の組織が「酸化」することによるものという概念があります。酸化を抑制する「抗酸化」によって、さまざまな病気を抑えることができるのではないかといわれてきました。
そこで抗がん剤の副作用としての脱毛は抗酸化作用によって予防できるのではないか。さらに抗がん剤によって起こる末梢神経障害、皮膚炎などの症例においても研究を進めていきました。

脱毛だけではないのですね。

抗酸化により腸炎や肺臓炎を予防しうる基礎研究成果を医学雑誌に報告し、さらに2011年に出版された外科系医学雑誌に、抗がん剤脱毛の原因は酸化によるという研究結果も報告しました。こうした基礎研究をもとに抗酸化作用のあるαリポ酸誘導体の研究が進んでいきました。
正常な細胞の老化を進め、細胞を死に至らしめる細胞死のことを「アポトーシス」といいます。人の細胞には寿命があって、最後には細胞が死んでいきます。その代わりに新しい細胞が出てくるので、その新陳代謝で人の身体はバランスが取れているのです。しかし抗がん剤を使うと、髪の毛の一番のもとになる毛母細胞とその周辺組織がアポトーシスを起こしていくことを突き止めました。これまでの基礎研究で、αリポ酸誘導体を塗布することでアポトーシスを抑制し、抗がん剤による脱毛が起こりにくい、また細胞の新陳代謝による回復が早くなることがわかりました。その結果をもって、今度は本当に人に効くのかどうか、100人以上の患者さんで臨床試験が実施されたのです。

抗がん剤治療をおこなう100人の患者さんで臨床試験を実施した、とありました。

正確には103人です。この臨床試験は乳がんの専門施設といわれている愛知県がんセンター、国立病院機構九州がんセンター、筑波大学附属病院の三カ所で臨床試験を行っていただきました。もちろん各施設の倫理委員会の承認と患者さんへのインフォームド・コンセントを得た上で行われています。

研究の中心にいる大分大学医学部はどのような立場なのですか。

大分大学医学部はαリポ酸誘導体に関する特許を持っていますから、実際の臨床試験をすると利益相反になってしまいます。ですから、厚労省の臨床研究の倫理指針に沿って、倫理委員会を通して大分大学とは無関係な組織に評価をお願いしなければなりません。我々には確かなコンセプトがありますが、大分大学医学部は研究事務局として臨床試験に関する全体のマネジメントをするのです。他の医療機関で評価をしていただき、第三者から見てどれだけの効果があったのか客観的なデータを取っていただき、そのデータを世界中に発信するということが大事なのです。

具体的にはどのような臨床試験が行われたのですか。

乳がんの外科手術をした後に、抗がん剤治療を行う103人の患者さんに半年間、αリポ酸誘導体が入ったローションを1日4回、頭部の8か所に付けてから全体ににしっかりと塗り込んでいただき、どれだけ脱毛が抑制されるかを調べていただきました。

αリポ酸誘導体のローションを塗らない場合、ほとんどの方は脱毛が起きるのですか。

何も措置をしなければ、ほぼ100%脱毛が起こることは明らかです。ですから、この研究に関する臨床試験では、抗がん剤の種類と使う期間は全部規定して評価していますし、厳密に行われました。抗がん剤の種類が変わると、脱毛の程度が変わって何が効いたのかよく分からなくなりますから。100%脱毛するといわれている抗がん剤治療期間中にこのローションを使用し続けてどのくらい脱毛するかを調べ、その結果を1年かけて解析したのです。

その結果はどうなったのですか。

髪が50%以上抜けることを「脱毛(グレード2)」と規定し、すべての人が一旦は脱毛しました。
ところがαリポ酸誘導体のローションを塗ると、脱毛からの回復が非常に早いということが明らかになりました。普通、抗がん剤治療をやめて3ヵ月目に脱毛が回復する人は1~2割なんですが、今回αリポ酸誘導体を塗った患者さんは8割の人が回復していました。回復率は2割から8割にアップした可能性が考えられます。

それは毛母細胞の酸化を食い止める抗酸化作用が働いたということですね。

αリポ酸が毛母細胞のところで抗がん剤によるダメージとアポトーシスが進むのを抑制していると考えていいと思います。

抗がん剤を使用し始めたときから塗り始めるのですか。

抗がん剤の投与を始めた時からローションを使用するという計画で臨床試験は行われました。ですから、抗がん剤を始める1週間~2週間前からこれを使ってたら、もっと脱毛が抑制される可能性があります。最初から抗酸化のあるαリポ酸に頭皮を十分浸しておけば、抗がん剤が及ぼす副作用はなかなか頭皮には及ばない、とも考えられますね。

抗がん剤のさまざまな副作用を抑える効果がある

抗がん剤の脱毛を抑制する、回復を早めるという事は明らかになったのですが、αリポ酸誘導体には別の作用がありました。
副作用として脱毛が起こるときの脱毛随伴症状というのがあります。それは頭皮の痛み、ピリピリ感、かゆみなどです。つまり抗癌剤による炎症によるものですが、それらも抑制しているのではないか、と考えられます。
ところが、抗がん剤を投与した時に患者さんがどのぐらいの痛みやピリピリ感を感じるのかということを調べた研究はありません。今後は、同じく100人の患者さんで、何も使わない患者さん50人、αリポ酸誘導体を塗布した患者さん50人というように、ローションの使用者と未使用者をランダムに割り付けし、脱毛随伴症状の痛みやピリピリ感、かゆみが抑えられるかを評価できれば、患者さんにとって二つ目の素晴らしい効果になります。
さらに脱毛に関してももっと踏み込んで研究しようと考えています。脱毛抑制の作用がどのようにして行われるのかを明確にするために、αリポ酸誘導体を使用したのちに回復した毛髪の状態も調べていきます。そのことで新たなメカニズムの発見の可能性も考えられ、脱毛抑制剤の開発に大きくつながることであろうということで、アデランスさんと大分大学の共同研究の中で新たに研究を実施する方向で進めています。
倫理委員会を通して、αリポ酸誘導体を用いるものと用いないものとのランダム化比較試験、第三相試験の実施を通じて新しい領域に踏み込む研究なのです。

αリポ酸誘導体の研究はさらに広がりを見せていますが、将来的には保険適用になるのでしょうか。

もちろんです。患者さんに役に立つと科学的に示されたものは認められるべきと思っています。厚労省から患者さんのQOLに貢献し得る薬剤として、将来的に保険適用になることを目指しています。

本当にαリポ酸誘導体配合ローションが保険適用になったら、多くのがん患者さんは精神的にも明るくなりますね。

今は日本人の3人に2人ががんになり、2人に1人ががんで亡くなる時代です。いろんながん種の中で、がんになった患者さんの3分の1が抗がん剤を使っています。その人たちの脱毛を予防できる商品ができたとなれば、ものすごい朗報ですよね。

αリポ酸誘導体は男性型脱毛にも効果があると考えられる

αリポ酸誘導体は男性型脱毛症にも有効に効くのではないでしょうか。

男性脱毛の要因の一つは、頭皮が老化するとともに毛髪も老化して炎症を起こしているのです。少なくともαリポ酸誘導体は高い抗酸化作用による抗炎症作用があります。抜けていく時は当然アポトーシスも進んでいますから、それらを抑制する可能性が考えられます。
実際に世の中には男性型脱毛を予防するという薬が出ていますが、それにはちょっとした副作用も伴います。例えば、男性機能の低下などです。ですから、酸化を抑えることで副作用が既存のものよりも随分減らせ、男性型脱毛を予防できるというのであれば、非常に有用な存在となるのではないでしょうか。抗がん剤脱毛の103人の患者さんに行った臨床研究では、この薬剤自体の副作用というのはほとんど何もないのです。抗酸化というもの自体が体に優しい治療法になりますから、それを使って男性型脱毛の予防ももっと検証していきたいと思っています。

いろんな方向でアンチエイジングにもひろがりそうですね。

どんどん広がっていく可能性を持っているのが、αリポ酸誘導体だと思っています。

αリポ酸誘導体が配合された商品は、すでに市販されていますか。

先頃、頭皮用ローションとして販売開始されました。頭皮だけでなく眉毛にも使用できるもので、より多くの方の手に早く届けたいという思いから、まずは化粧品としてスタートしています。原料であるαリポ酸誘導体の合成から始めなくてはならないため、製造に時間がかかりますが、商品の需要が高まり、今後はもっと大量生産して、コストダウンも実現できることを期待しています。

インタビュー・文/佐藤 彰芳 撮影/圷 邦信、後藤 裕二