成体由来幹細胞を用いて毛髪再生を実証。iPS細胞を含めての今後の展開とは。

※所属、役職は取材当時のものとなります。

辻孝先生が器官(臓器)のもととなる「器官原基」を再生する細胞操作技術である「器官原基法」を開発し、機能的な器官再生の道を拓いてきました。その先駆的な研究には、生物の根本的な原理である「細胞同士の直接的なコミュニケーション」という独自の研究哲学がありました。成体由来の二種類の幹細胞を用いて歯や毛髪を再生させ、世界で初めての毛包再生医療が始まろうとしています。
さらに世界に先駆けてiPS細胞から皮膚器官系を再生させ、いまや世界的に注目される辻先生は、2017年末、毛髪に蓄積された健康データを活用する「毛髪診断コンソーシアム」まで新たに立ち上げました。

出発点はアフリカツメガエル

辻先生が毛髪再生医療を研究するまでの経緯を教えてください。

「人の役に立つ研究がしたい」と私が最初に選んだ研究の場は民間企業の山之内製薬(当時、今のアステラス製薬)です(1986年)。しかし「新しい研究を進めるには、自分自身に研究哲学を持つことが大事だ」と、肝臓再生の増殖因子HGFを見つけた九州大学大学院の中村敏一教授の研究室に入りました(1986年)。研究における哲学とは何か。同じものを研究者が見たとしても、自分自身はそれをどう捉えて解決するのか。研究者も作家や映画監督のように、その人ならではの視点でものを視て、表現する哲学が必要なのです。
その研究室では、多くの研究をしましたが、アフリカツメガエルの受精卵の発生にのめり込みました。顕微鏡で見ていると、受精卵の内側に細胞が陥入して、外を覆う外胚葉に作用して神経の誘導をします。このとき異なる二つの細胞集団が互いに接触してコミュニケーションする現象にとても興味をもちました。あたかも原始的な村社会のように、直接、近くにいる人とだけコミュニケーションすることから始まり、やがて現代の社会のように、遠くにいる人とでもコミュニケーションできるような高度な細胞社会が形成されて、私たち、生物のからだがつくられていく。アフリカツメガエルの受精卵で、最も生物の原始的な、根本的な現象に気づいたのです。

骨髄の中の造血幹細胞研究

その後、再び、新潟大学の研究室に移り、私の幹細胞研究の出発点である骨髄の中の造血幹細胞の研究を始めました。いまほど幹細胞や再生という言葉が使われる時代ではなく、骨髄の中に血液の元となる幹細胞がいることが初めて明らかにされました。その後、まるでトレジャーハンティングのように、私たちのからだをつくっている様々な組織幹細胞の研究につながりました。
骨髄は生涯にわたって血液をつくり続けることが知られています。なぜそこでだけ血液がずっとつくられ続けるのか。それは血液の元となる造血幹細胞が骨髄に居続けるからです。幹細胞とは、いってみれば未熟な赤ちゃんで、受けた教育(刺激)によって「特定の能力を持った人間に変わっていく」という成長(分化)をして細胞の運命が決まっていき、血液や骨、筋肉などのいろいろな細胞になっていく。このとき、いわば赤ちゃんである幹細胞を守ってくれる「ゆりかご」のような「ニッチ」をつくる細胞がそばにいて、幹細胞の未熟性と多分化能を生涯にわたって守り続けているのです。このニッチ細胞の数が変わらないから、造血幹細胞の数も変わらないのです。例えば血液を失ったときに、造血幹細胞がたくさん増えるかというとそうではなく、血液の方向に教育を受けてすぐに働ける、大学生のような血液前駆細胞が増えて、緊急事態に備えています。血液の元となる造血幹細胞はゆっくりとしか増えないのです。この現象は、アフリカツメガエルの受精卵で見た時の、生物の根本的な原理、村社会での仕組みとよく似ていました。これが私の生涯にわたる研究の原点になりました。
その後、民間企業の日本たばこ産業(JT)の生命科学研究所、医薬探索研究所に移り、造血幹細胞の研究を続けました(1994年)。

JTでの研究成果とは。

白血病患者に対する骨髄移植の場合、治療を受ける人と提供者の移植タイプが合わないと拒絶反応が起こります。一卵性双生児なら完全に一致しますが、親子の場合は半分、他人ですから一致することはありません。兄弟姉妹でも一致確率は4分の1。日本人は基本的に北方、南方、中国の3方向からの流入で民族が形成されていますから、20万人のドナーバンクがあれば、90%はカバーできると言われています。しかしアメリカの場合は多民族ですから、ドナーが見つかる確率は200万人に1人くらいの確率と言われています。骨髄移植の場合、提供者となる人の骨盤のところに穴を開け、500mℓほどの造血幹細胞を含む骨髄液を採取し、それを腕の血管から点滴によって患者に移植するだけです。すると造血幹細胞は賢くて、自ら、ゆりかごのあるところ、「骨髄」まで辿り着きます。自分のいるべき場所を知っているのです。
造血幹細胞はまた、赤ちゃんの血液である臍帯血(胎盤の中の血液)の中にも多く含まれます。1年間に生まれてくる子どもが約100万人とすれば、100万種類のライブラリーができることになります。日本人は20万人の提供者があれば90%をカバーできる、といいましたが、1年間に100万人の臍帯血が苦痛を伴わず採取できるのに、捨てられています。しかし臍帯血は量が少なく、体重40キロまでの子どもにしか移植できませんでした。そこで私は、この造血幹細胞を増やして、ライブラリーをつくって凍結保存し、必要な時に、必要な患者に届ける「細胞医薬」という概念で研究をしていました。いまでいう「再生医療」です。
骨髄の中には造血幹細胞を守り育てる、ゆりかごのような細胞がいます。生体外で造血幹細胞を維持する培養方法もない時代に、私は骨髄の微小環境を再現すれば、臍帯血の造血幹細胞を増やせるのではないかと考えていました。造血幹細胞を増やして保存できれば、提供者を探さなくても骨髄移植ができ、提供者が見つからなくて亡くす生命を救うことができます。私は、骨髄の環境を再現する、ゆりかごの細胞を見つけ、その上で造血幹細胞を培養しました。すると造血幹細胞は1-2週間程度の培養で100倍以上に増えたのです。この研究成果をもとに、2003年には東海大学医学部で世界で初めての「生体外で増幅した造血幹細胞移植」の臨床研究へとつながりました。
しかし大手の製薬会社は、いわゆる「薬(低分子化合物)」を中心に研究を進めており、ヒトから採取した細胞を利用するなど倫理的な課題や感染リスクなどから、開発を進めていませんでした。JTといえども例外ではなく、会社として取り組まないという決定もあり、それなら私は、「大学に研究室をもって新しい治療法を確立して事業化したい」と考えるようになっていました。大学では、どのような研究をするかは研究者の裁量ひとつですから自由な研究ができます。
私の研究開発は、学問的な医学・生物学の研究というよりは、「人を助ける」「人が幸せになる」ための研究をすること、そして全く新しい革新的な研究にチャレンジし、患者の治療にまで持っていくことを大切な信条としています。この夢の実現に向けて、東京理科大学、基礎工学部がチャンスをくれました。

からだの始まりはたった二つの細胞

ちょうどこのころ、「再生医療」という学問領域ができ始めていました。第一世代の再生医療の研究開発が始まっており、造血幹細胞移植のように、からだから組織幹細胞を採取して、ばらばらのまま悪い場所へ移植するというものでした。そして2000年頃から第二世代の再生医療である「組織再生」の研究が始まったばかりでした。私たちのからだは、同じ細胞の種類の細胞が横につながって「組織」を形成しています。細胞を増やして二次元的なシートにする細胞シート工学が組織再生の先駆けでした。
研究が実を結ぶには早くて数年、長ければ10年の時間が必要です。すでに組織再生の先駆けが進んでいるとすれば、研究室をつくったばかりで、研究をしたこともない学生と研究を始めても、追いつけないのは明らかで、二番煎じの研究に私は何の価値も感じることはありません。そこでその次の世代の再生医療として最も困難な三次元の器官(臓器)再生に挑むことにしました。「臓器」とは胸や腹部などの内臓を指し、正しくは「器官」と呼びます。肝臓や腎臓などの内臓だけでなく、目や歯、毛をつくりだす毛包、爪など、複数の細胞が立体的に配置して一つの機能を発現するものを「器官」と呼びます。それまで人工臓器の開発に、数十年に渡り多くの研究者が挑んでいました。しかし、うまくいっていたのは物理的な機能をする臓器である、ポンプとしての心臓、濾過器としての腎臓でした。ほとんどの器官(臓器)は、細胞が働き、代謝や神経機能、ホルモンや生理活性物質を産生するため、研究から実用化に至る人工的な器官はありませんでした。
細胞は、取り出してくるとバラバラの単位になります。組織は一種類の細胞がつながって二次元的にシートを形成しています。例えば皮膚は、表皮とその内側に真皮の細胞が横につながっています。器官は三次元的な構造物で、その中に機能的な細胞が複数種含まれるほか、血管による栄養や酸素運搬、神経による調節など周辺組織と接続しており、内部には組織幹細胞が存在し、細胞が古くなれば新たな細胞が幹細胞から供給され、生涯にわたり自律的に維持されています。
器官をつくることは建物をつくることに似ています。例えば肝臓は、1グラムに1億個の細胞が存在しています。大きな器官をつくろうとすれば、100万階建て以上のビルをつくるようなもので、部屋を細胞に例えれば、100万階のビルの隅々にまで、通路や上下水道、電気、通信ネットワークが入り込んでいないと住むことはできないですよね。器官もそれと同じです。生命科学が進んだいまでも、それほどの立体的な構造物を人間の知恵でつくれることはできません。
では、私たちのからだはどうやってできあがるのか? それは受精卵から始まります。はじめにボディプランといって、からだの位置情報が出来上がります。まさに都市計画です。都市計画では、商業地や住宅地、工業地などまず区画割りができ、その場所にふさわしいものができます。私たちの体も同じです。胸には肺や心臓ができ、腹部には消化器ができる。皮膚には毛包や皮脂腺、汗腺ができる。これが胎児期に起こります。その最初の発生の営みは、たった二種類の細胞、表面を覆う上皮性幹細胞と、その裏打ちをしている間葉性の幹細胞が位置情報に従って、互いに細胞同士でコミュニケーションをして器官の元となる器官原基(種)をつくります。この二種類の幹細胞の発生は、ほとんどすべてで共通しており、すべて位置情報に従っています。ここでも生物の根本原理である、村社会のような隣り合うふたつの細胞の反応なのです。これが一貫して、私たちの研究哲学です。
そう考えれば、このたった二つの細胞を正しく配置して器官の種をつくれば、あとは生体に移植して、身体が育ててくれるのではないか。その研究ですらすでに30年に渡り進められていました。しかし、そのアプローチですら、三次元の細胞配置という困難な問題が待ち構えていました。

器官原基法による歯の再生

私は長らく肝臓の再生に興味を持っていました。しかし重要な臓器である肝臓を取り出すと、動物はすぐに死んでしまい、研究のモデルにふさわしいものではありませんでした。最初に目を付けた器官は、歯や毛包でした。歯や髪の毛は生き死にに関係ない分、動物モデルが組みやすく、どこまでうまくいって、何が課題かを見極めることができます。もう一つの着眼点は、産業化です。日本の再生医療は、ほかに治療のない患者を助けることから始まっていました。しかし、患者数が少ないうえに、高額医療費を保険で賄うには国民医療費に負担をかけるばかりか、産業化も十分ではありません。実際、この日本の政策は、18年が経過したいまでも克服できておらず、国民の税金をたくさん使って、再生医療の産業化ができたかと言えば、それは残念ながらノーのままです。
私は、再生医療の本質は、生物学的に重要な原理原則を解き明かしながら進めていくことだと考えています。そのためには、世界的にも革新的なしっかりとした基礎研究を進め、臨床応用に進めていく。そのため、器官再生医療では、生き死にに関係する「いのちの再生医療」である臓器再生も重要ですが、まずはしっかりとした基礎研究を進めるために、体表面に近く、逆に生き死にに関係しないけれども多くの国民を豊かにする「みんなの再生医療」を実現し、器官再生の社会基盤をつくることが大事だと考えました。それで歯や毛包の再生の研究を始めることにしました。
器官のもととなる器官原基をつくるといっても、三次元的な細胞の塊です。それも上皮性と間葉性の2種類の幹細胞を使う必要があります。細胞をピンポン玉だと考えてください。2種類の幹細胞を10万個ずつ使って、正しく器官へと発生するように組み立てる。世界中で30年間にわたり、足場材料に細胞を固定したり、細胞を沈殿して固めたり、いろんな研究が進められましたが、安定して発生する方法はありませんでした。私たちは3年以上かけて、その組み立て方を研究し、いろいろと試行錯誤をした結果できた技術が、器官のもととなる種をつくる「器官原基法」なのです。
器官原基法では、コラーゲンというネバネバした液体の中に、高密度にした上皮幹細胞を10万個程度入れて、その後、間葉性幹細胞を高密度で上皮性幹細胞の凝集塊に密着させると、生体内の細胞密度でこれらの幹細胞がぴたりと接触し、界面をつくります。コラーゲンは細胞の足場ではなく、上皮性、間葉性幹細胞を外部から固定して、細胞の直接的なコミュニケーションを誘導し、生体内で発生するときと同じ環境をつくり出すのです。この方法でつくった歯や毛の器官原基は生体内で見事に発生し、ばらばらの細胞をどう立体的に組み立てるのか、という方法に、大きなブレークスルーを果たしました。
この研究成果は、2007年に権威ある科学雑誌のネイチャーメソッズに発表すると、多くの新聞の一面を飾り、世界中で大きな反響が起こりました。歯や毛が再生できると。このとき、図らずも内臓などの再生だけでなく、世界中の人たちにとって、歯や毛の再生がいかに期待されているかを知ることになったのです。
しかしこの時はまだ、ただ細胞の正しい組み立て方を開発しただけで、本当に歯がない、毛がない場所で機能的に再生できたわけではなく、私には逆に大きなプレッシャーになりました。その後、2年間かけて、2009年には、歯の再生原基を歯が抜けたところに移植して、マウスでは30日間かけて歯が生え、50日で反対側の歯にぶつかって歯の成長は止まり、再生した歯が、噛めて、歯根膜を有して移動することができ、痛みすら感じることができる、機能的な完全な再生ができることを示すことができました。ようやく本当に器官再生医療の実現可能性が見えてきました。
器官原基法ができた時点では、「髪の毛も生やせる」、ほかの器官も再生できると確信していました。その後、実際に、2012年には毛包の再生、2013年には、唾液腺や涙腺の機能的な再生を発表し、私たちの研究は世界中で高く評価されるようになりました。

再生歯胚移植により萌出した再生歯

器官原基法による毛包の再生

ほとんどの器官は、胎児期にしか器官をつくることができません。そのため臓器が機能不全になれば、臓器を入れ替える移植治療が行われます。ところが毛髪をつくる工場である毛包だけは、一定期間ごとに再生する能力を持っています。これがヘアサイクルです。髪をつくる工場である毛母細胞と毛乳頭がある毛球部を自ら壊して、場所も、門である毛穴もそのままに、工場だけをリニューアルしているのです。ヒトの頭髪なら3~7年で生え変わります。しかも毛の種類は、ボディプランで全て毛乳頭が記憶しているため、頭髪や眉毛、産毛など、位置を変えてもその運命は変わりません。毛包は、器官再生能力を持った上皮性幹細胞と、間葉系幹細胞である毛乳頭を生涯、能力を失うことなく器官再生する唯一の器官なのです。
この仕組みから、私たちは、ヒトで器官再生医療にまで応用できる最初の器官は毛包だと考えました。毛包は、発生過程ではボディプランに従って皮膚領域ができます。その後、上皮幹細胞と間葉幹細胞の相互作用によって毛包が誘導され、毛が生えてきます。毛包が再生するということは、胎児期の幹細胞と同じ幹細胞が毛包の中に保管されています。毛包の上部のバルジ領域と呼ばれるところに上皮幹細胞が存在し、毛乳頭は間葉性幹細胞であることが知られていました。私たちは、これらの細胞を取り出して器官原基法で毛包の種をつくり、また毛穴をつくるために、移植した皮膚の傷が閉じてしまわないように細いナイロンを一本入れる技術を開発し、再生毛包器官原基を移植した場所から毛穴を有して毛を再生することに成功しました。この再生した毛は、一度だけ生えるわけではなく、立毛筋や神経とも接続して、マウスの生涯にわたって再生し、ヘアサイクルを繰り返すことができます。さらに毛の種類を制御できるほか、毛の密度や色を制御することもできます。
2012年、この研究の成功は、世界中で大きく取り上げられ、人間が長い間、夢見てきた毛を再生する技術が世界で初めて実現したのです。

再生毛包器官原基移植により生えたマウス再生毛

世界初の三次元器官再生医療に向けて

脱毛症の治療には、育毛剤や内服の酵素阻害薬など多様な治療法がありますが、重度の男性型脱毛症の患者は、後頭部から毛包を採取し、脱毛部に移植する自家単毛包移植があります。これは後頭部の毛包の運命は脱毛部に移植しても変わらないため、有効な方法ですが、髪の毛の絶対数は増えません。毛包再生医療で期待されることは、毛包をつくる幹細胞を生体外で増やし、毛包自体の数を増やすということです。この毛包の幹細胞を生体外で増やす、という研究開発に、実に7年の歳月がかかりました。なぜなら幹細胞を培養すると、ほとんどの場合、自分の運命や記憶を無くしてしまうからです。幹細胞の記憶をなくさないように、生体外で増やすには、幹細胞が本来、いるべき場所の環境を再現することが必要です。造血幹細胞の増幅の時には、骨髄のニッチ環境を再現しました。毛包の場合には、特に上皮性幹細胞の増幅が難しく、生涯にわたって上皮性幹細胞が存在し、維持される場所、バルジ領域での環境を再現することが大事であり、ヘアサイクルで作用する生理活性物質を片っ端から調べました。

頭皮から毛包を採取し、バルジ領域の上皮性幹細胞、間葉性幹細胞である毛乳頭、髪の毛に色をつける色素幹細胞へと分離して、そのそれぞれが能力を失わないように培養液の中に、それぞれに適した生理活性物質を入れて能力を保持したまま、生体外で増やす技術開発に成功しました。この技術開発によって、後頭部の毛包の記憶をなくすことなく、20日間の培養によって100倍の毛包に増やすことができるようになりました。ヒトの場合には、1㎠に100本の毛包がありますので、これを生体外で増やせば、1万本にまで増やすことができ、男性型脱毛症の場合、頭頂部全体をカバーできる夢の技術ができました。
しかし、研究開発の段階では手作業で毛包の種をつくるのでもいいのですが、私の目標はあくまでも製品化、実用化です。となると、製品にするための規格化、製造の安定化が必要です。器官原基法とナイロンの糸を合わせて規格化された製品化ができれば、世界初で初めての三次元再生医療製品になります。2018年までの2年間で、京セラと共同研究を進め、安定的に規格化した再生毛包原基を製造する方法を開発しました。
現在、ヒトでの臨床研究に向けて、動物を用いた非臨床安全性試験を実施しています。まずは動物での安全性を確認した上で、ヒトに移植しての安全性と有効性を確認する臨床研究に移る予定です。毛包移植は、男性型脱毛症の場合には保険診療外自由診療になりますが、科学的エビデンスのしっかりした治療法として確立するだけでなく、先天性乏毛症や瘢痕性脱毛症など、ほかの治療方法がない患者の治療法になるように、しっかりとした研究開発を進めています。

自由診療による毛髪移植療法は、どれだけの金額になるのでしょうか。

一種類の細胞を3週間培養した皮膚シートは、初めの治療費は一人分が1200万円ほどしました。毛包という再生医療製品は、細胞を3種類培養し、立体加工をすることから、治療開始時はそれ以上のコストがかかると思いますが、普及によりそのコストは低くなっていくと考えています。携帯電話がいい例です。出始めた頃は100万円以上しましたが、普及していくにつれ価格は下がり、いまでは小学生も持てるほど安価になりました。それと同じように、ウイッグなどと同じような価格帯まで落としていけるのではないかと考えています。脱毛症の治療がすべて再生医療に変わるわけではなく、毛髪治療の選択肢に、育毛剤や医薬品、ウィッグ、植毛治療に加えて、その選択肢の一つとして毛包再生医療という選択肢が加わり、患者の選択肢が増えるということです。

iPS細胞から皮膚器官系を再生

辻先生のiPS細胞による完全な皮膚の再生も世界的な反響を呼びました。

胎児のときに上皮幹細胞と間葉幹細胞から器官原基が誘導されて器官ができます。毛包だけは自分の細胞から器官再生のための幹細胞がとれますが、ほかの器官や臓器には器官を再生する幹細胞はないのです。そうすると、胎児をつくる受精卵、初期胚と同じ能力を持った細胞、全能性幹細胞であるES細胞やiPS細胞から器官をつくり出すという研究が必要になります。これがオルガノイド研究です。私たちの研究と並行して、その研究が世界中で進められ、全能性幹細胞にボディプランの誘導シグナルを入れて位置情報を与えることによって、いまではほとんどの器官ができるようになりました。まだ0.5㎜くらいの小さな器官ですので、これを移植に使えるくらい、大きくするのがこれからの課題です。
私たちは、マウスiPS細胞に皮膚になれという刺激を与えて皮膚のフィールドをつくると、あとは細胞の意思で皮膚に必要な器官をつくるための反応が起き、毛包や皮下脂肪、真皮、皮脂腺など皮膚に含まれる器官がすべて誘導されて皮膚器官系を再生し、世界に先駆けて複数の器官からなる器官系の再生に成功しました。2016年にこれを発表すると、世界的に高く評価され、カテルバアワードという「持続的な社会に向けたノーベル賞(ロイターによる)」の健康社会分野において最終、10人にノミネートされました。これは再生医療に留まることなく、人々の健康社会形成に向けて大きな期待を感じました。

マウスiPS細胞から再生した皮膚(緑色)とその再生毛

毛髪で健康診断する取り組みへ

辻先生の構想の下、理研とともに、アデランス、ヤフー、京セラなど18社の機関が参加して2017年末に「毛髪診断コンソーシアム」が結成されました。どのような内容なのですか。

病気になってから治療するのではなく、健康で豊かに生きるために、もっと身近な健康指標、健康情報を活用できる仕組みづくりを長らく考えてきました。
これまでの健康診断は、侵襲的な血液検査や非侵襲的な尿検査が用いられてきました。しかしこれらの健康診断指標は、飲食によって一日中変動するため、ある一定の制限をしないと不安定です。ところが髪の毛は、毛母細胞が死んで固まった細胞標本であって、ある意味、精密検査で用いられる細胞診断と同じ意味を持っています。細胞は、内部に取り込むものを制限しているため、体液のように流動的ではなく安定しています。これまでにも事件、事故の時の髪の変形や薬物摂取など、幅広く法科学で利用されています。さらに、髪は日々、伸びていますので、根本はいま、12センチ先は1年前の自分の細胞であり、生体の中でも数少ない過去ログを持っている媒体といえます。これまでにも小規模の研究では、がんや糖尿病などで毛髪の中に情報があるという報告もあります。私たちは、過去ログを持っていて容易に採取できる毛髪から、健康状態や病気を見つけ出す新しい健康診断の仕組みを、科学的にしっかりしたエビデンスをもとに、一人一人の健康寿命の延伸に向けて、民間企業が個々人に生活改善を提案できるソリューションを社会実装したいと考えています。

インタビュー・文/佐藤 彰芳 撮影/圷 邦信、後藤 裕二