高分子物質のさらなる研究開発でバイタルヘアは極めて人毛に近づいた

※所属、役職は取材当時のものとなります。

アデランスの人工毛は、バイタルヘアの登場でさらなる進化を遂げ、人毛にさらに近づいた。
長年、こうした人工毛の研究・開発を高分子科学の専門家として支えていただいている鞠谷教授に、 アデランス独自の人工毛開発の思想と、さらなる進化を遂げようとする人工毛の世界をうかがった。

アデランス独自の人工毛の開発に専門家の立場でアドバイス

先生がアデランスの人工毛開発に関わられたのはいつから、どのようなきっかけからでしょうか。

すでにサイバーヘアを開発していたアデランス開発担当者の方が私の研究室を訪ねて来られたのは、10年ほど前です。彼は元々文系の人で、人毛にいかに近い人工毛をつくるかにものすごいこだわりを持っていました。私はもっと限定的なところ、つまり高分子科学と高分子材料の成形加工が専門なんですが、彼は材料選びから高分子材料の成形加工にいたるまですべてにおいて、自分が経験したことを理論的にどうなのかと執拗に聞いてきましたね。その質問に対して私が助言したというより、逆に私が学習させていただいたほどです。月に1度は必ず研究室に試験的につくった人工毛やさまざまなデータを持って来ては、2〜3時間ディスカッションをして帰って行きました。

バイタルヘアの開発に躍起になっていた頃だと思います。先生はどのようなアドバイスをされたのですか。

私の研究室は、2つ以上の異なる材料を組み合わせることにより、それぞれの材料単独では持ち得ない優れた性能を引き出す複合紡糸を専門的に研究しています。ですから、複合紡糸で糸を引くときの基本的な考え方や、ナイロン(ポリアミド)やポリエステルなどの組み合わせなどについてアドバイスしました。
新しい人工毛であるバイタルヘアの開発でこだわったのはいくつかありますが、一つはカールの問題。これを学問的にどう解決するかは難しい。そして最大のテーマはいかにキューティクルを再現するか、ということでした。

ポリエステルではなく、ナイロンにこだわった理由

バイタルヘアの特性とはどのようなことでしょうか。

まず一般的に人工毛をつくる高分子物質としては、ナイロン(ポリアミド)、ポリエステル、塩ビ、アクリル系などが使われます。アデランス以外のウィッグメーカーは扱いやすいポリエステルの人工毛を使っているのですが、アデランスではサイバーヘア以来、バイタルヘアもナイロンを使うことにこだわりを持っていました。それは、ナイロンのほうが究極的に人毛に近くなるという信念からです。

自社独自の技術で開発された「バイタルヘア」は、特性を天然毛髪に近づけながらも、より機能的な人工毛髪としての優れた特徴がある。
特異な表面形状をつくることにより、人工毛髪に見られるギラツキを抑え、自然な艶を表現している。

 

なぜ、ほかのメーカーはナイロンを使わないのですか。

ナイロンには欠点があって扱いにくいのです。ナイロンはポリエステルに比べて柔らかく、弾性率が低い。湿度の影響も受けやすく、水分の影響で性質も変わりやすいという欠点を持っています。ポリエステルも水分や湿度管理は難しいのですが、ナイロンのほうがさらに予想できないことが起こりやすく、扱いはもっと難しい。ポリエステルは260度ぐらいが溶解温度ですが、ナイロンは220〜230度で溶けるというのも大きな違いです。

彼が欠点も多いナイロンにこだわった理由は何でしょうか。

そのひとつは光の屈折率の問題です。例えば、ダイヤモンドがなぜ光るのかというと屈折率が高いからです。ポリエステルはナイロンより光の屈折率が高く、ナイロンのほうが屈折率が低いので落ち着いた感じになります。髪の毛はあまり光ってはいけない。いろいろな照明の下や太陽光の下に行ったとき、人毛と違う光り方をしたら、ウィッグであることがバレてしまいます。
その点について、キューティクルによる光の拡散などに関しても光学的な装置を用いて研究し、各社の人工毛の反射率を調べた結果、「現在開発している人工毛が一番人毛に近い反射特性を持っている」との結果が得られ、国際学会で発表までされています。
だからこそ、ナイロンにこだわりました。ナイロンの欠点を克服して改良していけば、より人毛に近づけるという考えです。
改良の手だてとして、「開発中の人工毛をこのような性格に変えたい」とポリマー(高分子)の性質を上手く引き出す方法には、2つのアプローチがあります。一つは糸の〝鞘〟と〝芯〟の部分に2種類のポリマーを複合させて小さな穴から押し出し、空気中で冷却させながら引き伸ばして繊維を製造する複合紡糸の方法。そしてもう一つは、性格の違うポリマーを混ぜて溶融したポリマーを押し出して空気中で冷却させながら引き伸ばして繊維を製造するという方法です。
アデランスではポリマーの性質を上手く引き出すために、どちらの方法も試みました。取り組んだ溶融したポリマーを混ぜる研究は高分子科学の権威ある先生方の多くも研究していますが、その成形物がどうしてできたのかを明らかにするには大変時間がかかっています。溶融したポリマーを混ぜて成形機から押し出して引き延ばすとどのような挙動を示すのかという研究はさらに難しく、その複雑さゆえにどちらかというと遅れている分野で、専門家でもそこのところを詳しく議論できる人はいないと思いますが、そのへんのことも難しく考えず、いろいろなものを大胆に混ぜて、「理想の人工毛に出合いたい」という現場感覚で追求していました。
最終的には、バイタルヘアの特性に関しては複合紡糸の方法に落ち着きましたが、繊維を製造する成形機そのものにもこだわりました。顔料を入れたり、いろいろ材料を入れて押し出さなければならないので、私はそうした成形機に精通した専門家も紹介しました。そして押し出したあとの冷やし方も重要な課題で、ナイロン系ポリマーは冷やし方が大変難しいのです。キューティクルをつくるために押し出されて出てきた複合紡糸を温水のなかに通し、その温度調整で表面に人毛のキューティクルに近い凹凸をつくる技術を開発したのです。もちろん最終的には、顕微鏡ではなく、触ってみた感触こそが一番確かな確認方法でした。

高分子科学の世界では人工毛開発は衝撃的な分野

アデランスの人工毛の開発に関わってみていかがでしたか。

私は糸をつくるのが専門であって、人工毛は特殊な成形物です。この10年、「こうしたらどうだろう」というストーリーの予測や直感的なひらめきなど人工毛に関する繊維の話を持って来られ、我々専門家にとって、「何、それ?」と驚くようなことばかりでした。我々の高分子科学の分野は、何かが起こる前に「こうなりますよ」と予測するのはものすごく難しく「何かが起きた後の後付けの説明ならできるかもしれない」という分野なのです。だから私は、持ってきた高分子科学で思わぬことが起こっていることに対して、後付けで理由を考えて、その可能性をできるだけ広げて行く役目なのですが、私自身、人工毛ってこんなに面白いのかと、いまでは人工毛開発にとても興味を持っています。
また、人工毛に関するテーマのひとつが面白く、それをテーマにした研究でドクターが一人誕生したほどです。新しい人工毛の開発は、現在、高分子科学的に何が起こっているのか、という疑問を抱かせるほど衝撃的なものなのです。最近、新たに開発した人工毛に関しても原理の7、8割は分かりましたが、まだいままでの学問では説明しきれない部分も残っている興味深い高分子の世界なのです。

次なる人工毛開発は、どのようなものになりますか。

現在、アデランスとともに開発している人工毛はさらに人毛に近づいています。その後は、天然物としてのタンパク質を入れ、人毛と同じ原料の人工毛をつくりたいですね。

もうすぐ、実際に人毛と変わらないものが登場してきそうですね。

はい、私の夢を語ります(笑)。
人工毛を開発していくなかで、自社で開発するか、それともアウトソーシングでどこかでつくったものを使うか、この二つの方法があると思います。アデランスは自社でつくることを選択しています。これは世界的に見ても、ほとんど無い例だと思います。
究極的にいうと、お客さんが来たときに、毛が生えている方向まで調べて、ウィッグをつくりますが、お客さんの髪の毛を調べてそれに合わせて糸もつくるのです。お客さんごとに糸をつくり分けるようになれば、それが理想の人工毛かなと思います。これは、確かな経験値があればできない話ではありません。髪の毛の質なり、見え方も含めて合わせるなら、その人自身の髪の毛に合わせて人工毛からつくるんです。そして、将来的にそれができる可能性があるのは、自社で人工毛はつくるという企業方針を持っているアデランスだけだと思います。ほかのメーカーのようにアウトソーシングをしていたら絶対にありえない。それが私の人工毛開発の一番の夢ですね。
いま、個別のマニュファクチャリングはものすごい勢いで成長しています。3Dプリンターも大量生産から見たら使い物にならない技術かもしれませんが、個々の要求に対して事細かに対応できるという意味ではとても大事です。それができるようになったらすごいことですね。

インタビュー・文/佐藤 彰芳 撮影/圷 邦信