エンタテインメントの力を、ウィッグが後押しする。そうした関係性は、古くはなんと神代の時代から見られました。天照大神(アマテラスオオミカミ)が天の岩戸に隠れてしまったという、あの有名な神話でのことです。このとき一心に踊りを踊って天の岩戸を開けさせた天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が頭髪に着けていたのが鬘(かずら)、いわゆるウィッグだったのです。これがウィッグを芸能で用いた始まりとされ、天宇受賣命は今では芸能の神とされています。

神代の時代の後もウィッグは芸能でよく用いられましたが、特にターニングポイントとなったのが、能と歌舞伎で使われたことです。
能では、室町時代に観阿弥・世阿弥が完成させた『大和猿楽能』で、扮装用のかつらが初めて使われたとされます。かつらを着け、鬘帯(かずらおび)という鉢巻きのような布で締め、面を付けるというスタイルです。


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そして歌舞伎のほうでは1654年、羽左衛門が市村座で『島原傾城買(しまばらけいせいがい)』を演じた際に女かつらを使ったのが、いわゆるかつらの始まりと考えられます。このときは能のかつらにヒントを得て、前髪かつらを使ったようです。1673年には銅板台の頭型が発明され、頭部全体を覆う全かつらが登場。全かつらはそれから約100年を経た18世紀後半ごろに、歌舞伎の世界に定着します。
そして明治初期にはさらに精巧なかつらが生まれ、今につながる歌舞伎かつらが完成します。

現代の歌舞伎のかつらは、役に合わせて千数百種類もあり、その多様性と創造性が今の歌舞伎の舞台を支えているともいえます。また歌舞伎かつらは、現在も使われている婚礼の花嫁かつらや芸妓かつらなど、歌舞伎以外のシーンにも応用されています。
ここまでは日本のウィッグの話でしたが、明治時代以降には、洋風ウィッグもエンタテインメントと結びつくことになります。

まずは1883年に鹿鳴館が完成すると、洋装に合わせ、前髪用の赤いつけ髪が女性の間で使われ始めます。1904年以降には、川上貞奴という女優により、ひさし髪に入れ毛をするスタイル「ルイズまげ」がひろめられます。

そして洋風ウィッグが流行する大きなきっかけになったのが、島村抱月が主宰する芸術座の舞台『復活』でした。舞台では、主演女優・松井須磨子がヒロインのカチューシャ役を演じる際に、特注の赤毛かつらを着用。この舞台は爆発的にヒットし、洋風ウィッグは世にひろく知れ渡ります。また、ヘアバンドのことをカチューシャと呼ぶのは、この舞台がきっかけになっているという説もあります。

洋風ウィッグの流行は戦争をはさんで下火になりますが、戦後ふたたび注目されていき、1970年代以降にはウィッグをつくる会社が相次いで登場。エンタテインメントの世界ともより密接に結びつき、ミュージカル、舞台、映画、ドラマなどを彩る強力なツールとして活用されるようになります。アデランスがウィッグを提供して大ヒットした劇団四季ミュージカル『キャッツ』などは、まさにその典型例です。

エンタテインメントは、日常のなかにある種の魔法をかけてくれます。ウィッグはエンタテインメントと結びつき、その魔力を大きく高める存在なのです。


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取材・文/田嶋章博